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くずれる常識

 昔は常識だったことが、今では否定されていることはいくらでもあります。
 運動中には水を飲むなとか、
 うさぎ跳びで足腰を鍛えるとか、
 赤ちゃんを抱っこすると抱っこ癖がつくとか。

 それらは、科学的に証明されるまでは「あたりまえのこと」として受け継がれてきました。
 たとえば、高校の運動部の顧問や先輩に対して、一年生が「運動中に水を飲まないのは間違っている」と言ったところで聞いてはもらえないでしょう。
 そうゆう指摘は教師と生徒の関係の中では是正されていかないのです。

 さて、ピアノの世界にも間違った常識があります。
 「ピアノを弾く手は猫の手」というのがそれです。

なぜ是正されないか

 ピアノを習う人はたいてい小学校の低学年からはじめると思います。
 「猫の手」を叩き込まれて、コンクールに出るようになって結果を残せるようになるとピアノ奏者への道を歩み始めるわけですが、一度叩き込まれた基本は自分が習った先生を否定できるような大物に出会わない限り改められません。

猫の手はどこが間違いか

 ピアノを弾いたことの無い子供にピアノを弾かせると、たいていまっすぐに伸ばした指で手首の重さを使って打鍵します。
 それを教師が「指を丸める」ように指導するわけですが、その指導の根拠はバイエルの指導する指の形です。
 そのころのピアノはまだ、チェンバロの発展形で鍵盤も軽くあまり沈まないものだったようです。
 「猫の手」というのはそのころのピアノを弾くのに最適なように考えられています。

 たとえば、何か押しボタンスイッチを押すとして、それが軽くてあまり沈まないスイッチなら指先で押すでしょう。
 しかし、ある程度重くてストロークがあれば、指の腹で押すのではないでしょうか。
 指先で打鍵する「猫の手」は、軽くてストロークの短い初期のピアノを想定して考えられているのです。

 

日本のピアノ教育

 日本の歴史の教科書は、原始時代、縄文、弥生、大和と現代へ向かって追いかけてくる順番ですが、欧米では現代からさかのぼるやりかたです。
 これは、未来を判断する材料として一番重要なのは現代史であり、国の起源などは二の次という考え方です。
 それに対し日本では、現代史まではたどり着かず、平安、奈良、安土桃山、鎌倉、江戸などの封建社会を中心に学ぶことになり、現代史はおざなりです。
 
 同じようなことがピアノ学習でもあり、欧米ではバロック、古典、ロマン、近代を並行して学習するのに対し、日本のピアノ教育の初期では古典ばかりをやります。 ロマンから近代は死ぬほど古典をやらされてからでないとやらせてもらえません。
 覚えておかなくてはいけないのは、古典派作曲家の想定しているピアノはウィーンアクションの軽いピアノであり、重厚なピアノアクションに対応した演奏をはじめたのは、後期ロマン派からだということです。

 日本のピアノ教育においてはソナチネ、ソナタ、ブルグミュラー程度はピアノ学習するための資格試験のようなもので、その奏法は実際には役に立ちません。

なぜ、日本ではバイエルが重要なのか

 明治期になって、日本に西洋式の文化を取り入れる時にアメリカに留学した文部省の伊沢修二氏が音楽センスの無い人で、伴奏程度しか弾けない米国人音楽教師メーソンの演奏に感激し、その米国人が使っていたバイエルをそのまま日本でのピアノ教育に採用したのが始まりです。

 欧州で重力奏法が主流になったあともバイエルが神格化されて使いつづけられたため、いまだに初級ピアノ教育といえばバイエルとされています。

バッハ平均律クラヴィーア曲集について

 これはまだ議論があると思うんですけど、この曲集の「平均律」についての理解は3段階に分かれます。
 1)一般人 現在の12等分平均律だと思って疑わない。
 2)その上 ウェルテンペラント、すなわちベルクマイスターやキルンベルガーのことだと思っている。
 3)更に上 やっぱり12等分平均律だったのではないかと思っている。

 3)については、そうゆう研究もあるようなので無下に無視するわけにもいきません。
 ただ、一般的には「平均律を普及させようとした人が、ウェルテンペラントを平均律とあえて誤訳した。」という考え方が支配的です。
 ウェルテンペラントというのは、純正律ではハ長調から全く転調出来ないという問題をある程度解決した音律です。 使える調を増やすしすぎると5度や3度が濁っていくという妥協の中でいろいろな音律が生まれました。
 重要なのは、ウェルテンペラントの「使える調」は平均律より和音がキレイということ。
 いろんな音律があることだけでも知っておいてください。

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