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ピアノの歴史
序論
ピアノの歴史を調べる場合の興味の対象は、大きく二つに分けられていて、
1)古楽器としてのピアノに興味がある
2)奏法の変遷を調べたい
の二つであろうと考える。
1)の場合には、チェンバロからピアノへ変化した瞬間が興味の対象であるが、ここでは2)の姿勢をとる。 よってピアノの出現よりも、フォルテピアノが現代ピアノへと変化していった過程を重視したい。
ピアノの歴史
ピアノは約300年前にクラビコードとチェンバロを元に発明されました。
大別して、初期からプロイセンの戦争までのウィーン式と、その戦争をきっかけにロンドンに移ったジルバーマンの弟子ツンベが製作したイギリス式に分かれます。
ウィーン式は跳ね上げ式ハンマーアクションで軽やかなのが特徴です。 ここまでは、サロン音楽であったチェンバロ・クラビコードの流れを汲んでいると言えます。
それに対し、イギリス式は突き上げ式というアクションで、ウィーン式に較べてハンマーが重く、重厚なタッチでした。
19世紀初頭には、この二つの流れのピアノがしのぎを削る時期があり、ウィーン式は、チェルニー、ショパン、シューマン、メンデルスゾーンなどが軽やかなウィーンアクションを生かした曲を作っていました。
フランス人エラールがイギリスに渡ってからイギリス式にダブルエスケープメント機構が導入され同音の連打が可能になると、ウィーン式もこれを取り入れざるを得なくなり、ピアノはイギリス式に統合されていくことになります。 こうしてウィーン式が終焉を迎えたのが1909年のこと。
ベートーベンとピアノ
このウィーン式からイギリス式への変遷の真っ直中にいたのがベートーベンです。
幼少期はクラビコードで、青年期はウィーン式ピアノで、壮年期以降はイギリス式で作曲しました。
ですから、彼の作品を演奏するときには、どの年代に作曲されたものかが重要なのです。 ソナチネ5番などは幼少期の作品とされていますので、チェンバロをイメージして弾くと良いかも知れません。
1770年 誕生
1788年 シュタイン製のピアノ(ウィーン式)を贈られる。
1803年 エラール製のピアノを贈られる。(イギリス式)
1810年 この頃はシュトライヒャー製を使っていたらしい。 音域F1~f4
1818年 ブロードウッド製のピアノを贈られる。 音域C1~c4
1827年 没
モーツァルト
ベートーベンより、15年ほど生年が早いこともあって、モーツァルトはチェンバロからウィーン式ピアノへの変遷期に生きています。
1756年 誕生
1777年 アウグスブルグのシュタインの工房を訪れ、ピアノを試奏し魅了される。
1791年 没
モーツァルトは生涯、イギリスアクションのピアノには出会わなかったようであります。
1780年代前半には、ヴァルターのピアノ(これもウィーン式)を作曲に使うようになっています。
いずれにしても、現代のピアノでモーツァルトの曲を弾こうとするならば、チェンバロからクラビコード、ウィーン式ピアノの発音のしくみを理解することが重要です。
バイエル
さて、教則本で有名なバイエルはどうでしょうか。
1803年 ドイツ クベアフルトにて誕生
1844年 いわゆる「バイエル」出版
1863年 没
年代からすると、イギリスアクションのピアノを使っていてもおかしくないのですが、当時のイギリス式がどの程度重いアクションだったかを含めてまだ調査中であります。
今日のピアノ教育では批判も多いバイエルですが、和声を学ぶには良いという意見もあり、弾けるに越したことはありません。
ただ、イギリス式にしろウィーン式にしろ、当時のピアノより今日のピアノのほうが鍵盤が確実に重たいので、打鍵方法は本に書いてあるとおりにしなくても良いだろうと思います。
チェルニー
バイエルが終われば、次はチェルニーですけど、、、、
1791年 ウィーンにてチェルニー生誕
1800年頃 ベートーベンに師事
1805年頃からウィーンにてピアノ教育に専念
1857年 没
ということは、チェルニーは完全にウィーン派であるということ。
また、チェルニーはベートーベンの弟子であるということは覚えておいたほうが良い。
極論としては、チェルニーをやってもベートーベンを弾くのに役立つだけ。
また、チェルニーの教則本は生徒のための本ではなく、ピアノが弾けないピアノ教師のためのアンチョコなのだ。
打鍵方法については、これら古典の教則本には頼らないほうが良いかも。
チェンバロの弾き方を引きずっているだろうから。
現代ピアノの誕生
1819年 ダイアモンドダイスの出現
1820年頃 グランドピアノへの巻き弦の使用
1826年 フェルトハンマーの発明
1830年 イギリスでスチール弦出現
1840年 鋳鉄フレームのピアノ出現
これらの出来事は、ピアノの弦の張力が大きくなっていったことを示している。 それにつれてハンマーも重たくなっていったと予想される。 重たいハンマーを飛ばすにはキートラベルも深くなっていかざるを得ない。
奏法の変遷はアクションの方式の発達よりは、このキーの重さに要因があるように思う。
それと、ハンマーがフェルトになったことも大きな要因。
音量と共に音質をコントロールできるようになったので、ピアニッシモの音が重要になった。
その他整理できていないことがら
1820年 ハノン フランスに生まれる。
1878年 「ピアノの名手になる60練習曲」いわるるハノン 世界博覧会で銀メダル
1900年 没
1810年 ショパンがポーランドに誕生
1849年 没
ショパンはウィーン式の名手だが、指の独立が悪かったためそんな自分でも弾けるメソッドを開発した。
それが長い指を黒鍵に使うやりかた。 ショパンの曲にやたらと♯や♭が出てくるのはこのため。
それを理解せずに「難解だ」と思うのは不幸。 そのほうが簡単に弾けるように作ってあるのだ。 ハノンをやってからショパンをやるのは、順番としていかがなものかと思う。
1811年 リスト誕生
1886年 没
リストは、ショパンとは逆にイギリス式の名手。 指の独立性を重視した。
そんな逆に見える二人が重力奏法の祖と言われているのは面白い。
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