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ピアノ 雑感
ピアノについて思うことをまとまり無く書いています。
私とピアノの関わり
ピアノの打鍵理論について書くぐらいですから、ピアノが弾けるだろうと思うと大間違い。
なんにも弾けません。 私の専門はカントリー/ブルーグラスのウッドベースです。
嫁の影響で子供がピアノを習い始めて、グランドピアノまで買う羽目になっていろいろ考えていることを形にしたかったのがこのHPのピアノセクションの始まりです。
ピアノというのはギターやベースに比べると不自由な楽器で、ハンマリングオンも出来なきゃ、チョーキングもできない。 ビブラートさえ掛けられないというがんじがらめの楽器です。
しかし、小さい頃からピアノだけを弾いているとそれに気がつかないで、強い弱い、ペダルを踏む踏まないだけの表現しか知らないという感じがします。
あぁ、ピッチベンドホイールが欲しい、タッチモジュレーションが欲しいと思ったのはわたしだけでしょうか。
ピアノも、「ここはバイオリンのようにアタックを消して弾きたい!」とか「スチールギターのようにスライドしたい」とか思いながら弾くのが重要ではないかと思いますよ。
ウッドベースでは、まず出したい音、たとえばバラードだから色気のある伸びる音が欲しいとか、アップテンポだから切れの良い音などを思い浮かべて弾くのです。 指の形などは誰にも言われず出したい音が明確なら自然とそうゆう音が出る指の格好をするもんです。
まぁ、これは弦を直接触っている楽器だからこそできるのであって、ピアノではアクション、ハンマーを通して弦まで神経が通うまでには相当の練習を必要とするでしょう。
それだけにどんな音を出したいかイメージすることが余計重要ではないかと思います。
QCとピアノ
工場などの生産現場では、品質管理の手法としてQC(クオリティコントロール)をやることがあります。
これは、組立作業などで熟練工の速さ正確さを、ただベテランだからの一言で済ませずに若手にも伝授しようというものです。
熟練工が速いのは、たとえば材料の置く場所が工夫してあるとか、工具の並べ方がうまいとか、その要因を分析するのです。
ピアノ教育の場合でも、最初に間違った教育をしておいてコンサートピアニストはだれもそんな弾き方をしていないのに、彼らはベテランだからの一言で済ませているのでは練習時間が無駄です。
そんな回り道をせずに、最初からベテランのやり方を真似しましょうというのがここの趣旨です。
ピアノ教育現場がなぜそんなに回り道をするのかというと、ピアノ学習者が大抵小学校低学年から基礎を叩きこまれるため、その人が教育する立場になってもそれを捨てられないからです。
欧米に留学すれば、今までの奏法を全否定されてやっと気がつきますが、一般のピアノ教師のレベルではだれも注意しませんから一生なおりません。
日本のピアノ教育の構造
第一次大戦の直前、ハイフィンガーが駆逐されるまえのドイツからピアノ教師を招いてしまったおかげで日本にはハイフィンガーが蔓延ることになった。
ショルツ→高折宮次→井口基成と続く系譜において、昭和30年代から井口基成が子供のピアノ天才で国内コンクールを席巻したことからその地位は不動のものとなってしまった。
井口基成は東京芸術大学の教授で、日本演奏家連盟の理事長で、桐朋音楽学園の名誉学長であるので、誰もその権威に逆らえない。
ハイフィンガーテクニックは教えるのが楽で、教師が弾けなくても生徒を怒鳴って指の練習をさせて置けばよいし、地道な指の訓練という日本人好みの練習法だったので一般に広まるのも早かった。
「力任せ=情熱的」という単純な図式のハイフィンガーと違って、重力奏法は「芸術的感情表現」を元にするため教師が優秀な(留学帰りレベルの)ピアニストでなくてはならず一般に浸透するには至っていない。
重力奏法を身につけるには、留学への切符を手に入れるだけのためにハイフィンガーで頂点を極めることが必要だったのである。
もちろん,留学先ではハイフィンガーは全否定され、「脱力」という新しい概念での指の練習からやりなおしである。
これからのピアノ教育
いままで、ハイフィンガーvs重力奏法の構図で書いてきたが、重力奏法も現在では少数派だと聞く。
要するに奏法などどうでも良いのであって、重要なのはどんな音がほしいのかである。
木琴みたいなパコパコの音が欲しければハイフィンガーで弾けばよいし、玉を転がすような音がほしければ重力奏法で弾けばよい。
僕が今考えている仮説は、「ピアノをやったことの無い幼児が一番正しい打鍵をするのではないか。」ということ。
バイエル形の打鍵は明らかに不自然だし訓練しないとできない打鍵である。
初めてピアノを弾く幼児は、指をのばしたままで手首を上下させて弾く。 これをほんの少し曲げてやるだけで重力奏法ができてしまうのではないか。
バイエルをみっちりやったあとで重力奏法をやろうとするから苦労するのではないかと考えているのである。
ピアノ以外の楽器のすすめ
ウッドベースという楽器は、左手で音を止めるタイミングを決められるし、音程も決められる。
右手では音質を決められる。
両手で弦を触っている感触というのが大事で、出したい音はどうやったら出せるかというのは本能的にわかるのである。
楽器の練習では、じつはフェーズは二つあって、
1)楽器をもってやる練習(どうやって弾くか)
2)楽器を持たずにやる練習(何を弾くか)
がある。
どうやって弾くかなどは訓練でしかないので、自分の弾ける範囲で弾けばよい。
重要なのは何を弾くかであって、これは楽器をもっていてはできない。
くち三味線で、フレーズを歌う練習が大変に重要なのである。
そのくち三味線以上には上手に弾けないからだ。
ピアノでは、このくち三味線の練習をほとんどしないのではないか。
楽譜にアーティキュレーションが書いてあるからといって安心しているのではないか。
楽譜は唯の覚え書きであって音楽ではない。 自分の言葉で音楽することが重要なのだ。
だからピアノ弾きには楽器として、両手で弦を触る、楽譜を使わない楽器をやることをお勧めする。
ポルトガルギターなんて、いいんぢゃないのかな。
手の形
ピアノを弾くときの指の形については、いろいろと議論があり迷うところだが、よくよく考えると簡単な概念があることに気が付いた。
「何かの形にしようとしてはいけない」
ということであって、立てろとか寝かせろとか考えるまでも無く、力をいれて何かの形にしようとしてはいけないのだ。
構えとは打鍵と打鍵の間とかの基本の形であるから一番自然な形であることが大切。
打鍵のとき以外ではどこにも力を入れてはいけないのだから、自然と少し伸びたような形になるはず。
これを、「指を丸くして」などと言うと常に指に力を入れていることになり、疲れてしまう。
これは、ピアノに限らず、ギターでもベースでもドラムでも同じである。
唯一違うのがバイオリン。
腕に構えていたバイオリンをアゴ当てをつけて首の下に構えるようになってから、右手も左手も肘に無理が掛かる構えになってしまっている。
これもピアノ同様、大きな音を求めた結果、弦長をかせぐためにネックが長くブリッジが高くなった結果である。
最新のロシア式の弓の持ち方だと、肘が伸びないほど手首を内側に絞り込む。
教師がこれを知らないで、「右手はまっすぐ伸びるまで使う」などと指導されることもあり要注意。
音程について
ピアノをやっている人は、なんでもピアノの鍵盤の音程が正しいと思い込みがち。
しかし、ピアノが出す音程というのは、さまざまの音律の中で一番いい加減な平均律という音律でしかない。
ひとつの曲の中でさえ、いろいろな音律を使い分ける必要があるのに、これは不都合だ。
まず、
ハ長調として、
3コードの進行のなかでコードの構成音だけでハモるんなら、C基準の純正律でよい。
しかし、Cの純正律ではDmがハモれない。 C純正律ではD音はドミナントコードのルートであるG音の5度として存在しており、F音の3度下という関係ではないからだ。
ということは、たとえばIIm-V7-IM7 という当たり前の進行で、Dmのときと、G7の時ではD音の高さを変えなくてはならないということだ。
しかし、ハモり重視ではなく、メロディ中心に歌うとすると純正律ではなく、ピタゴラス系の音律のほうが快い。
純正律では2度音程の距離が場所によってばらつくのだ。
すべての音を5度サイクルで決定するピタゴラス音律では2度音程が全て均一である。
そのかわり3度音程がハモらない。
だから副旋律の人には、ピタゴラス音律の3度上と表現するしかない音律が必要とされる。
そんなことはピアノで出来るわけもない。
ということは、平均律のピアノで合唱指導は出来ないということだ。
ケミストリーという堂珍・川端のコーラス屋がいるが、この人たちのハモりは聞いていてとても気持ち悪い。
平均律で歌ってるんじゃないだろか。 特に3度上のボーカルが上ずるのだ。
オーディションで自己中なボーカリスト二人寄せ集めてもコーラスは出来んのだ。
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