[2] 6月10日 ドラム奏法研究
2013/06/10
「そんなに考えてばかりいないで、練習せんかい!」という声が聞こえてきそうであるが、ドラムを習う気はしなかった。
ドラムを誰かに習った人は、ドラムについて深く考えたことは無いだろう。 師匠の考えを否定するわけにはいかんからね。
僕にとっては、ドラムを誰かに長期にわたって習い続けるというのは考えられない。
教えてもらうことがあるとすれば、それは思想であり根底の考え方であるべきで、一瞬で分からなければならない。
半年も一年も習っていると講師の考えに染まってしまうぞ。
形から入ると、その行動の意味が分からないぞ。
習いに行くからモーラー奏法が分からないんだ。
考えないと分からないぞ。
それは習った人には残念ながらもう理解できない。
大切なのは理念だ。
それが分かるまでは練習すべきではない。
上半身の理念は「腕の重心を動かさない」ということで判明していたので、腕のモーラー奏法はすでに練習中。
だが、バスドラムを踏む理念が分からなかった。
どうやれば楽に踏めるか、練習せずに踏み方がわかるのか。
それは練習を積み重ねて努力してきた人にはもう分からない。
練習せずに踏み方が分からないと意味が無い。
だから習うということは意味が無い。
練習というのは、「ゆっくりなら出来ることを無意識に出来るようになる」ことをいう。
回数をこなして、やり方を体に覚えこませるのは練習ではなく「試行錯誤」という。
回数をこなさずに、二、三回踏んだだけでその理論の正当性が実証されなくてはならない。
だめなら、また理論の考え直し。
それって、習うって感じじゃないよね。
だから、僕はドラムは習いに行かない。
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